しんしんと

こんばんは、みきです。
今週のブログはおそらくほとんどが弊社の研修についてのことかと思います。
かく言う私も知覧研修について触れていきたいと思います。

桜島を臨む景色を眺めたり、集成館を訪れたり、沖縄ではお目にかかれない路面電車が走っているのを見ることができました。
その中で面白い出会いもありました。
浦島太郎伝説の地である龍宮神社を訪れた時に、とある俳句が彫られた石碑を見つけました。

「しんしんと肺碧きまで海のたび」という句を見た瞬間、この俳句を4・5才ぐらいの頃に熱心に覚えていた数ある俳句の一つだと思い出しました。
幼稚園生ぐらいの頃に、当時通っていた公文の勉強の一つに俳句を覚えるものがあり、意味は理解していないながらも平仮名や簡単な漢字を覚える勉強として、100近い俳句を覚えていた記憶があります。ほとんどの句はもう忘れていましたが、いくつかは語感が好みだったのか、今でも覚えているものもあり、「しんしんと」の句もその一つでした。

研修の中で、富屋旅館の女将さんがおっしゃっていたことの一つに「難しいことを小さい子に教えても分からないという理由で、親から教えられるはずの『人として当たり前のこと』を教えてもらえない子どもが多くなっている」というお話がありました。
難しいなら分かるように伝えたらいいし、本当の意味がその時は分からなくても、成長していく中で意味を見出し、理解していくものもあると思います。
先ほどの俳句もそうでした。当時繰り返し声に出して覚えていた俳句の意味自体はほとんど理解しないまま、平仮名が読めるようになる練習の一環としてただ覚えていました。俳句の意味を知ろうとしたのは、中学生の頃に俳句の授業があってから何となくいくつか覚えていた俳句の意味を調べた時だったと記憶しています。
それと同じように、「朝起きたらおはようございます」「嬉しいことをしてもらった時はありがとうございます」「悪いことをしてしまったらごめんなさい」といった挨拶や礼節を繰り返し子どもへと伝えることでまずは覚えて、日々実践していき、色々な経験をしていく中で「なぜそうするのか」を理解していき、自分が大人となり教える立場になった時に、自分が小さなころに親に教えてもらった言葉・伝え方を思い出しながら伝え、伝えられた子どもが年を重ねるごとに覚えて実践して理解して、そしてまた大人になって伝える。
私自身に伝わるまでの間に親や祖父母、さらにその上の世代から、きっとそうやって伝わってきたのではないかと思います。
それを、「難しいことは分からない」という解釈で伝達を止めてしまうのは、教えられるはずだった子だけでなく、本当の意味で伝える事の大切さを理解していない大人側も不幸なことだと思います。

大人の勝手な解釈で子どもの可能性を縮めてしまわないように気を付けながら、自分自身も勝手な解釈で自分の可能性を縮めてしまわないよう、本質が何かを見極めていきます。

先人たちの遺してくれたものを見て、受け継がれた言葉を聞き、色々な人と意見の交換をする中で様々な考えに触れることのできた素敵な3日間でした。