かんばんは、浩二です。
一年の締めくくりに、少し原点の話を書いてみようと思います。
私はもともと、那覇市役所で
建築指導課、都市計画課に所属していました。
景観計画など、都市の景観をどうコントロールするかを考える部署です。
けれど、仕事を続ける中で、強い違和感を覚えるようになりました。
建築物については、厳密なルールのもとで議論され、丁寧にコントロールされている。
一方で、その建物に設置される**屋外広告物(看板)**はどうか。
当時、屋外広告物条例の申請率は、わずか 5%程度。
どんなに建築が頑張っても、
そこに設置される看板が無法状態であれば、景観は成立しません。
「これは、どこかおかしい」
そう感じたことが、今の仕事につながっています。
理想と現実のギャップ
行政を離れ、看板業界に入り、現場に立つようになってから、
今度は別の意味で現実を突きつけられました。
申請をしていないということは、
点検を行っていないということと、ほぼ同義です。
中身は錆び、構造は弱っている。
それでも、外装のシートだけをきれいに貼り替え、
一見問題なさそうに見える危険な屋外広告物が、数多く存在していました。
その光景を前にして、昔からずっと聞こえてくる心の声があります。
なぜ、臭いものに蓋をするのか。
なぜ、本質的な問題から目をそらすのか。
なぜ、物事を必要以上に複雑に考えるのか。
やるべきことは、実はとてもシンプル
私の中で、答えは驚くほど単純です。
【申請率を上げること】
やるべきことは、たったそれだけです。
そこに向けて、何を整理し、何を変えるべきかを考える。
ただし、細かい指示を積み重ねる必要はないと思っています。
必要なのは、「方向(ベクトル)」を示すこと。
たとえば、
「行政は敵だ」というベクトルを示せば、
驚くほど多くの人が、行政に敵対意識を向けます。
「行政と協力して、この問題を解決しよう」というベクトルを示せば、
驚くほど多くの人が、協力的な姿勢を取ります。
人は、示された方向に、想像以上に素直です。
いわゆる 80:20の法則で言うなら、
20%の人たちが同じベクトルを向けた時点で、
物事はかなりの確率で前に進み始めます。
行政と民間、それぞれに必要な姿勢
行政は、すべてを論理で完全に固めようとしすぎなくてもいい。
時には、感覚的な判断で一歩踏み出す勇気も必要だと思います。
民間は、行政に対して敵対意識を持つのではなく、
分からないことを、分からないままにせず、
素直に聞く姿勢を持てばいい。
どちらが正しい、どちらが間違っている、という話ではありません。
ユニコーンはいない
私は、自分ができたから、誰でもできるとは思っていません。
むしろ、自分の経歴はかなり特殊で、
その自分ですら、ギリギリでクリアできているという感覚があります。
ユニコーンは、想像上の生き物です。
翼を生やして飛び立ったとしても、
ずっと飛び続けていなければならない。
休むための地面がなく、
翼を閉じた瞬間、待っているのは落下だけです。
現実はそうではありません。
地面を整え
足場をつくり
階段を設け
上がり方を示す
人が安心して進める構造を用意しなければ、
多くの人は前に進めません。
二項対立が生む、静かな摩耗
上か下か、正しいか間違っているか。
その二項対立が続く限り、
判断を引き受ける断面の人間が、最も消耗します。
対立のエネルギーは、
上でも下でもなく、常にその狭間に集まるからです。
この断面に生きる人達は、
声を上げることもなく、
少しずつ、静かに摩耗していきます。
上下ではなく、同じ世界線で視座を合わせられたと仮定するなら、
中庸は妥協ではなく、持続可能な選択肢として立ち上がってきます。
人が溢れていた時代から、
人が減っていく時代へ。
パイを奪い合うという発想は、
すでに古くなりつつあります。
これからは、限られたマンパワーの中で、
どれだけ協力できるか。
その視点への転換が、より重要になっていくと感じています。
今年も、多くのご縁と経験に支えられた一年でした。
来年も、本質に向き合う仕事を、淡々と積み重ねていきたいと思います。
どうぞ、良い年をお迎えください。
沖縄の景観に寄与するエーツーサインを今後ともよろしくお願いいたします。
