映画「ひゃくえむ」

かんばんは、浩二です。
先日、映画「ひゃくえむ」を観て来ました。
100メートル走というわずか十数秒の世界を通して、人間の生き方そのものを描いた作品で、素晴らしい内容でした。
短距離走には、長距離とはまったく異なる“哲学”が宿っています。
それは、「迷った瞬間から、敗北は始まっている」という、明確で残酷なルールです。

■一瞬に賭けるということ
短距離走者に許された時間は、あまりにも短いものです。
スタートラインに立つまでの数ヶ月、数年の努力が、わずかな数秒で評価されてしまいます。
思考を挟む余地はほとんどなく、加速のタイミング、腕の振り一つも、“感じたままに”出すしかありません。
短距離とは、**「最短の時間で最大の答えを出す競技」**であり、
同時に**「直感と覚悟の純度が試される場」**でもあります。

■「浅はかでいい」という逆説
劇中で財津が語る哲学のひとつに、「浅はかでいい」という逆説的な言葉があります。
一般的には、浅はかであることは恥ずべきことだと言われます。
もっと考えろ、もっと深く分析しろと求められます。
しかし100mという世界では、むしろ逆になります。
深く考えれば考えるほど筋肉は遅れ、心はブレーキを踏んでしまう。
短距離の世界では、直感の瞬発力こそが“最も深い智慧”になるのです。
この言葉は、「短距離の正しさは、長距離の正しさと反する」という事実を鋭く突いています。

■人はずっと短距離では走れない
短距離の哲学は力強く、熱く、刺激的です。
しかし同時に、人は永遠に短距離走者でいられるわけではありません。
常に爆発し続けることはできませんし、人生の大半は、長距離的な持続や調整、休息で成り立っています。
だからこそ短距離の哲学は“ここぞという瞬間”にだけ発動すべき力なのだと感じさせられます。
日常の99%は平常運転でも、残り1%の“勝負の瞬間”だけは、迷わず踏み込み、走り切る力が必要です。
その瞬間が、人の運命を大きく変えていきます。

■ひゃくえむが伝える、瞬間の生き方
映画「ひゃくえむ」は、走ることそのものよりも、“瞬間をどう生きるか”という問いを私たちに投げかけています。
直感の火花を信じる勇気、一瞬にすべてを賭ける覚悟、考えるよりも、まず踏み出す決断
短距離走とは、人生のある一瞬だけ存在する“純粋な火”のようなものなのかもしれません。
生き方のほとんどは長距離戦ですが、ほんの数回だけ訪れる“100mの瞬間”があります。
その瞬間に、どれだけ踏み切れるか。
何を手放し、何を選び、どの方向へ走り出すのか。
映画「ひゃくえむ」は、その一瞬の切れ味を、静かに、しかし強烈に教えてくれる作品です。

映画良いですね。
久しく離れてましたが、なるべく様々な作品を観るようにしたいと思います。
沖縄で看板制作お悩みの方はエーツーサインまでお声掛けのほどお願いいたします。

PAGE TOP